【11.23幌延デー中止】幌延と核のごみ問題を簡単にまとめました

掲載日:2020.11.26

8月12日、寿都町の片岡町長は突如として、高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場文献調査への応募を検討していることを表明しました。その約2カ月後、片岡町長は応募を正式表明、また、神恵内村議会でも応募することが採択されました。その他にも滝上町の町民有志や道議会自民党がNUMO(原子力発電環境整備機構)を招いての学習会を開催するなど、今年、核のごみ受け入れは全道的な問題となりました。

北海道における核のごみ受け入れ問題は、1982年まで遡ります。道北の幌延町は、1980年ごろから原子力発電所関連施設の誘致に乗り出していました。そして「高レベル施設誘致こそ本命」というマスコミ報道を当時の成松町長が肯定します。この処分施設誘致は、その後の反対運動の高揚で中止となりましたが、2001年、現在の「幌延深地層研究センター」が建設されました。

拡大する新型コロナウイルスの影響で本年の「11.23幌延デー北海道集会」は中止になりましたが、幌延と核のごみ問題を簡単にまとめました。

 

〇11月23日ってなんの日?

先述の通り、幌延町は1980年ごろから原子力発電所建設誘致をめざしていましたが、予定地が泥炭地であったことなどから誘致には至りませんでした。それならばと、佐野町長とその後を継いだ成松町長は「高レベル放射性廃棄物施設・貯蔵工学センター」誘致に舵を切ることになります。これに反対した諸団体や個人、住民や市民グループが「道民連絡会議」を発足させ、自治労北海道本部もこれに参加しました。1985年11月頃、道民会議などでつくる現地闘争本部は、動燃(動力炉・核燃料開発事業団)による現地調査強行の動きを察知し、監視体制を敷いていました。監視団を組織し、建設予定地に通ずる道を、昼夜を問わず監視し続けていました。青年部時代にこの監視団に参加していた北海道地方自治研究所の難波優常務理事(富良野市労連)は「吹雪のなか、トランシーバーを片手に怪しい車が通らないか、見張っていた」と当時の様子を語ります。この監視団には川本淳自治労本部中央執行委員長(中川町職労)も参加していました。皆さんの職場にも監視団に加わっていた先輩がいるかも知れませんので、当時の様子を聞いてみましょう。

そして11月23日、この監視体制をかいくぐり、動燃は地上踏査・事前調査を実施しました。この抜き打ち調査に反対住民や道民連絡会議は怒り、連日、抗議行動を続け、5日後の11月28日には幌延町に2000人を集めての抗議集会を開きました。当時の貴重な写真のネガを、札幌市職連さんからお借りしました。

こうした反対運動の高まりと、一貫して反対・拒否の姿勢を貫いて当選した横路知事(当時)により貯蔵関連施設建設は取り止めとなりましたが、2001年に深地層研究センターが開設されました。

 

 

〇問題点① 国はあきらめない

寿都町は文献調査だけなら問題ないのでは、という意見もあります。文献調査から概要調査に進む段階で、知事や市町村長は意見を言えることになっているので、それ以上先には進まないと国、NUMOは説明しています。しかし、「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」第4条第5項は、「当該概要調査地区等の所在地を管轄する都道府県知事及び市町村長の意見を聴き、これを十分に尊重しなければならない」と書いてあるだけで、拒否権や同意の必要性は書かれていません。NUMO理事長は2013年に、「北海道に核抜き条例があることは知っているが、北海道は対象外ではない」と言っています。資源エネルギー庁放射性廃棄物等対策室長も「条例があるからと言って対象から外す理由にはならない」と言っています。鈴木知事も反対の意見を述べるとは言っていますが、法律上は意見を述べることはできるだけで、それで拒否ができるということではありません。

幌延深地層試験研究センターは、2001年の設立当初は20年程度の研究期間を経て、埋め戻すことになっていました。しかし2019年、日本原子力機構は10年程度延長することを決め、鈴木知事はこれを容認しました。一度着手した原子力関連事業を国はあきらめません。

文献調査まで進んでしまえば、これを法律上は拒否できませんし、幌延深地層試験センターのように、国をあきらめさせるのは容易ではありません。

 

〇問題点② 原発で地域は振興しない

苅羽原発のある新潟県の新潟大学・藤堂史明准教授は「新潟県柏崎市はデータ上、製造・建設・小売り・サービスなど、すべての産業で原発による経済効果が発生していない。原発建設期には建設業において経済効果が表れているが、その効果は他の産業に波及しない。原発という特定の受注に依存することで、他の産業にも悪影響を及ぼしている。原発建設後の危険な地域に産業と人口は集積しない。事故がなくともリスクにより、外部との経済的なつながりが薄れている」と研究結果を述べ、「原発は地域振興に役立たない」と結論しています。

原発で一時的に町は潤ってもその後は地場の産業が衰退して、結果的に経済的に衰退し住民も離れていってしまいます。原発と関連施設だけが残る町、になってしまいます。

 

〇問題点③ 原発で地域が分断される

1980年代に幌延町内で反対運動をしていた商店の店主は賛成派から「反対しているなら買い物はできない」という圧力があり、賛成派と反対派で地域が分断され、町のなかで議論ができなくなってしまったと言います。賛成派は町の財政を憂い、反対派は酪農など町の産業を憂いていました。双方ともに町の将来を憂いての行動だったのに、原子力によって町が分断されてしまいました。

 

 

〇問題点④ 核のごみに対する無責任

全国にある原発で保管している使用済み核燃料は、許容量を超えようとしています。核のごみは10万年保管し続けなければならないといわれていますが、どうするべきなのでしょうか?北海道大学の小野有五名誉教授は「核のごみを放っておくことは無責任だという人もいるが、電力会社は最初から処分できないことを分かっていた。分かっていて原発で莫大な利益を得たのだから、電力会社が自分の敷地のなかで管理するのが当たり前。現在、実際に核のごみは管理できているのだから、あと200年保管すればよい。200年経過すると放射能レベルが相当低下する。さらに人類の技術も進歩するのだから、その時点で処分方法を考えるべき」と述べ、「現状で埋めることが無責任」と主張します。

人類が最古といわれるメソポタミアに文明を築いてからまだ1万年程度です。10万年先まで誰が責任を持つのでしょうか?さらに、核のごみは10万年経つと放射線量が1/10に減少するといわれていますが、ゼロになるわけではありません。10万年経とうが非常に危険なものであることに変わりありません。

核のごみをどのように処分するかという議論より、これ以上核のごみを出さないための議論を先にするべきではないでしょうか。